2004 NARA

「ヒカリ繭」 奈良公園(なら燈花会)

 

ヒカリ繭
2004
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Photo/Susumu Imanaka

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K U M A
―SCULPTURE AS TRANSCULTURAL THEATER ―
文化的定義を超えて実存する劇場空間としての彫刻

トランスカルチャー:個人または集団が単一のカテゴリー文化の外へはみ出し、あるいは脱出し、複数の文化にまたがるアイデンティティーを自らのものとして生きる現象。

私の数年にわたる日本やアジア諸国への旅で、文化の違いがあるとしても、それが必ずしもデメリットではないことがますます明白になってきている。
彫刻においては、例えば、あるアーティストが空間と固有のフォルムとを関連させて明らかにする表現手段は、非常に独特な感性を明示していると言ってよいだろう。
伝統や経験や風土を踏まえたうえで、彫刻という表現が今此処の時間、場所を超越するトランスカルチャーの劇場空間にまで行き着くことを可能にしている。
彫刻という手段が、グローバライズ化する政争、意図的なステレオタイプ、壊滅的紛争のもとでの人間の精神の強靭な忍耐力を知らしめているのだ。

私は数年前にJean Genet(ジャン ジュネ:1910-1986 フランス・パリ生まれ。10代の大半を感化院で過ごし、成人後も繰り返し投獄された。同性愛を特異な言語で描き、晩年はパレスチナ問題に積極的に関わった。)のNoter Dames des Fleurs(花のノートルダム)を読んだこと、アルジェリア出身の作者のメッセージに共感を覚えたこと思い出した。ノーベル文学賞候補にもなった日本の偉大な文学者、三島由紀夫の小説もほとんど同じことが言えるだろう。Genetと三島は彼らの目指す方向性から、文化において特殊なものと捉えられながらも、彼らの文学作品は独自の類を見ない芸術のかたちを試みるまでに及んでいる。
こういった表現が小説家の間では度々受け入れられている一方で、あまり理解されていない他のアーティストたちは、逆にさらに孤高に向かう傾向がある。(文化の)領域の違いでの,そのあからさまな徴候を超越していくには、深いレベルで、そういった新しい文化のスタイルをコミュニケートする国際人となっていくことが求められるのかも知れない。

アーティスト篠原勝之は自らの呼称をKUMAとした。
彼は伝統柄と漫画を組み合わせた派手な着物を軽快にまとい、スキンヘッドでエネルギッシュな姿で自分を表現する。はつらつと陽気でユーモアがある反面、思慮深く哲学的である。その風体においては、獰猛と穏やかの間を漂うトリックスターだ。彼は矛盾に満ちたアーティストである。詩人の魂を内に秘めながらも、謎めいた鉄の溶接とガラスのインスタレーションの中に、過酷な現実を捉える能力を持ち続けている。
彼のバックグラウンドには劇団が(60年代、日本のアバンギャルドを席巻していた劇団にいた。)存在する。劇団員(座付き画家)として、内面の本質的な感性を投影する才能があった。彫刻家として、作品のフォルムに本質や感情を深く潜り込ませることを身につけた。
彼は、理論や理屈、アカデミックな論述にはかまわず、彼の彫刻が感情の本質をいかに映し出すかということに、より重きを置いている。彼は自らの演出力で、風変わりで意外性のある愉快なTVのパーソナリティーとして有名になった。にもかかわらず、彼は鉄の溶接とキャストガラス、すなわち、光を透過させることと、封じ込めることを往き来する創作にのめり込む厳格な部分を保つことを確実に  成し遂げている。
日本のテレビジョンで、彼はアート界の予定調和な生真面目さに冷笑的なコメントを差し向けることで知られている。しかしKUMA自身もその話し振りも、皮肉屋でなければうぬぼれてもいない。彼のユーモアと哲学には人間が人間らしく生存していく上で、創作のプロセスが必要不可欠であると気付かせてくれる働きがある。

鉄の溶接で創られた都会のビル街にそびえ立つ生命体、SKY SEED(1993・千葉県)や、三日月形の弧を描く鉄とガラスの構築的なフォルムと対角に鋭く伸びた尖塔のBeing Nowhere, Being Everywhere(うつろう/1996・高知県)のように、KUMAのほとんどの作品は大きなスケールでその場所のために創られたものである。外見上の違いを通して、それらの作品はそれぞれを取り巻く環境の特色に焦点をあてている。
都会のビル街には成長する萌芽が螺旋に延び、一方でさらに田舎へ行くと幾何学的な構成が地上の予測できない気候など、自然の威力を象徴する。
他にも大きなスケールの作品、JUST LANDED(飛来/1999・千葉)は、地面に対して斜めに等間隔に立つ鉄の四角い厚板に、キャストガラスが平行に斜めに突き刺さっている。これもまた、作品を取り巻く環境が内包する自然の力を示唆している。
これら作品は自然に生かされている人間の存在、すなわち、対立しながら補い合う光と闇の存在にも神道の不変が関係していることを気づかせる役目を果たしている。

KUMAの創作現場は東京から車で2時間の山梨県の村にある。我々の乗ったヴァンがスタジオ正面の車寄せに入ると、彼は攻撃的で親しみを込めた仕草で、フロントガラスに向かってホースで水を浴びせかけた。温かな歓迎を受けた後、私たちはスタジオに入り、いくつかの鉄やガラスの作品、古の都・奈良でのイヴェントのために準備中の竹のプロジェクトについて話はじめた。注意深く、彼の仕草や話し方を見ているうち(通訳が介在していたので)に、私はKUMAに対して親近感を覚えた。
彼の芸術に対する見識はアカデミックではない、しかし、彼のアイデアは繊細であり、視野の広さは計り知れない。そういった教養が彫刻に込められることで、押し付けがましくなく、しばしばユーモラスな手法で伝達される、彼の作品の内面が受け入れられるのだ。KUMAの彫刻を体験する別の機会を通して、私は彼の直感的なフォルムが、人々をある種、劇場的なハプニングに巻き込んでしまう能力があることを知る。

最後に私たちはスタジオに隣接した家に移動し、薄暗い部屋の低いテーブルを囲んで座った。40度近い暑い夏の日だった。そこには東京のKUMAのエージェントがアレンジした撮影クルーが、KUMAの初期の作品から最近のプロジェクトへと速いテンポで進む会話を撮影するために待っていた。何度も、KUMAは自分の作品にとって重要なのは感じることであり、これこそがコミュニケーションのベースであると確信していることを強調した。その後私たちは2キロほど離れた場所にある、KUMAが10年前に川の中州の中央に設置したステンレスの尖塔の記念碑に向かった。WIND HARP(風弦/1994)は、河川の氾濫で多くの被災犠牲者が出た村のために考えられた。その尖塔が支えるワイヤーの下には張子の岩が吊るされ、巨大な岩石が不規則に配置されている。尖塔の中を吹き抜ける風によって、作品はハープのように五感を超越する体験を創造する。風の音が人間の歌声のように聴こえるだろう。WIND HARPには強い詩情と人文主義的な側面がある一方で、ここにもまた自然への偉大な畏怖の念がある。

私はWIND HARPとその対極にある他の作品とを比較せずにはおれない。
MEMORY OF FOREST(森の記憶/2002・高知)はKUMAが建築材を火葬用の薪のように積み上げ、火を点け、炭化した木の角材で構築された一時的に存在する作品である。もちろんこの儀式的なアクション、最終的に燃やすと言う破壊行為で、木のタワーは壊れるのだが、人間が実用本位に規格化した、森の木の変貌を見せる役割を遂げている。詩情的なWIND HARPのように永遠を意図されるものであっても、相対してもっと挑発的なMEMORY OF FORESTであっても、自然はKUMAの作品の中で大きな位置を占めている。
どちらの作品においても、儀式のような場面、壮観な光景、そして我々が予想する現実を超越するような時空の出来事、パフォーマンスがアートを事件に変えている。

翌日、私は東京湾岸を巡るボートに乗った。高層ビルの輪郭を漂いながら、KUMAの作品―去年ベニスで見た、教会の中庭に鉄とガラスと荒縄で構成されたLa Luce Circolante(循環するヒカリ/2003)とその後、同時に夏にリドの屋外に展示されたAn Immature Period(未熟なピリオド/2003)という、隙間を空けながらプレートをボルトで繋ぎ止めた巨大な鉄の球体で、その中に不思議なヒカリが宿っていた―について思いを巡らせた。心の中で作品を回想しながら、KUMAの作品が、彼の背景にある(日本の)文化を越えて―しかしながら同時にそこには、紛れも無く感じる、彼が彼たる所以を明らかする作法のような証しが存在する―象徴している(あるいは具現化している)ことが解り始めた。
ある意味ではKUMAの作品は、日本さらには東アジアの国境を越えてしまう。彼の作品は、芸術とは特有のスタイルや、地盤におこる現象だけではない(そこには彫刻のフォルムにどんな意味があるのかを感じ取る別の方法、難解な暗号や社会通念のうわべを超えた、作品に存在する作家の意思とさらにコミュニケートする手だてがある)という解釈をはっきりとアピールしている。私は自問せざるを得ない。この(日本)独特の文化に対する深い造詣なくして、その意味の深さを理解することができるのか?作品の外側に対する(視覚的な)勝手な思い入れによって、その体験を感受できるのだろうか?KUMAが自然という空間の中で、我々の眼に見えるものに対する感覚を変えてしまうアーティストだと理解できるだろうか?

私はそれらすべての疑問への答えが、昨年8月のKUMAの奈良での屋外インスタレーションに集約されていると思っている。7月にスタジオを訪ねたとき、彼は着々と竹で飛行船のような、巨大な繭の形を組み上げていた。私が彼のスタジオで目にした原型は、その3週間後に完成していた。竹の作品《ヒカリ繭》(2004)は樹木に吊るされ、そこに調和しながら上部でバランスを保つ。ランタンが仕込まれた竹の構造は蚊帳に包まれている。放し飼いの鹿、大気に染みわたる草の匂いに満ちた奈良公園の夕暮れ、作品を吊るした樹木の周りの芝生に散りばめた灯かり。ランタンは地面の上で、繭の中で、ひとつずつ灯された。神秘的な繭の存在は異質なものに見えながらも、親しみを感じる。
昼間においても見物人たちにとってその光景は違うものに感じたに違いない。繭の大きさが怯ませる。人を引き寄せる魅力があるにもかかわらず、手の届かない、言葉では言い尽くせない存在感である。すべては眼に見える要素によるものだけではなく、そのフォルムの表現豊かな(眼に見えない)本質が大きく立ち現れる。この世のものではなく、人目を誘う。幻想的な外観と周辺の空間に、ある種のユーモアがほんのりと満ちる。最終的にKUMAは、観客が作品と作用し合い、生きることの神秘を享受する、ひとつの状況と出来事と空間を創造した。彼の彫刻に対する考え方は不変であるかより、むしろ、その作法である。ある特定の期間に実在し、劇的な規模が人々に一体感を招く。《ヒカリ繭》は彫刻という表現で、ある種の劇場的体験を提供した。彫刻は奈良公園を訪れた人々に刺激的に働きかけ、劇場の観客に変えてしまう。こういった状況において、彫刻はあらゆる文化を超越した劇場空間になるのである。

                     

  

Robert.C.Morgan
(SCULPTURE 2005年3月号より)